2019 May
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母から譲り受けた漆器やアジアを旅して見つけた伝統工芸の漆、欠けや剥げを直したいと漆工房を訪ねる。漆芸用の刷毛や生地の器、漆にあしらわれた象嵌(ぞうがん)や螺鈿(らでん)細工の材料が並ぶ工房、職人さんのお話も奥が深く興味深い。昔、パリで中国骨董が趣味の友人に連れられて訪れた象嵌細工のアトリエを思い出す。 |
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スイスに住んでいた頃チューリッヒの美術館で見たクリムトの回顧展、久しぶりにカタログを見る。まだデザイナーとして自分のスタイルを模索していた時代、クリムトの世界に憧れていた事を思い出し懐かしくページを繰る。 |
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和光ホールでガラス作家、河上恭一郎展を拝見する。両親の古い友人であり家族ぐるみのお付き合いの河上氏、 いつお会いしてもその活力に満ちた作家としての佇まいに元気を頂く。和光ホールいっぱいに広がる河上ワールド、 老舗の料亭から名門フレンチまで、シェフ達の信頼も厚い河上作品の世界を堪能する。 |
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恵比寿のギャラリーMA2に「ル・コルビジェ 絵と家具と」を見に行く。西洋美術館のル・コルビジェ展と時期を同じくして独自のコレクションを展示、ル・コルビジェの研究者でもあるEric Mouchet氏の協力でパリのレストランPrunierのために制作されたお皿などプライベートなオブジェや日本初公開の作品も多く、自由な雰囲気の中ル・コルビジェのプライベートな一面を感じられる展覧会。 |
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Gallery Signのセレクトによるユニテ・ド・アビタシオンのステアケース屋スイス学生会館のテーブル、ブラジル学生会館のシャワードア、トーネットの製図版など1階から4階までコルビジェにまつわるオブジェや家具が緩やかに展開する。 |
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ミニマルな外観、真っ白で静かな空間にシンプルでダイナミックな展示、全てが私好みの素敵なギャラリー。白い階段の先には陽の光を受けて銀色に光るドアが見える・・・。誰も居ない不思議なギャラリー、サンジェルマン・デ・プレにあるウィンドウだけのギャラリー「Pièce Unique」を思い出す。 |
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西洋美術館で開催中の松方コレクション展、その2階で「林忠正 ジャポニズムを支えたパリの美術商」展を見る。林忠正(1853嘉永6-1906明治39)は西洋で日本美術を扱った初めての日本人、開成高校(現在の東京大学)を出ると日本でフランス語を習得し1878年(明治11年)のパリ万博を機に通訳として渡仏。日本の美術・工芸が大変な人気を博していた時代を受けて現地に留まり1884年「日本美術の情報と案内」という店を構える。時は明治、海外への渡航さえ夢のような時代にパリで店を構えるなどとんでもないスケールの人が居たのだ・・・。 |
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彼の提供する日本美術(主に浮世絵)の作品とその該博な知識は現地の日本美術愛好家たちに熱心に受容され、ジャポニズム隆盛の大きな原動力となったという。1900年のパリ万博では博覧会事務館長を務め、様々な活動を通じて美術館の持つ文化的役割の重要性を認識するようになり日本での美術館建設を夢見て西洋美術のコレクションを少しずつ充実させてゆく。松方コレクションの松方氏に先立つこと25年・・・、1905年に帰国後、52歳という若さでこの世を去りその夢は実現することなくコレクションは散逸してしまう。 林氏の孫の夫人、歴史作家の木々庸子氏の所蔵品を中心にコレクションのたどった運命と日欧文化交流に一生を捧げたその功績を再考する素晴らしい展覧会に感動する。「林忠正と松方幸次郎 美術館建設を夢見た2人の明治人」という館長の講演会も興味深い。明治時代くらいまでは思いを馳せられるけれど、林忠正は嘉永生まれと知り更に驚く。パリのアパルトマンのバルコニーで寛いだ表情の写真・・・。 |
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令和の新しい時代が始まり、今は上皇后様となられた美智子様の展覧会を拝見する。どのような時も温かな優しい笑顔で、居られるだけで周りの雰囲気が和やかに朗らかになる・・・。数々のご公務の写真が並ぶギャラリーは長い列が続く、平成の時代を振り返る素晴らしい展覧会。 |
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友人でもありその作品が大好きな彫刻家、村尾里奈氏から韓国で開催中の展覧会のお知らせが届く。行く事が出来なくてもこのようなご案内は嬉しいもの。最近はメール配信が殆どだけれど紙質や印刷、こだわって制作された「紙媒体」は一つの作品とも言える。早速アトリエに飾り展覧会をネットで拝見する。 |